発酵食品を、もっと調味料として普段使いに。

栗生さんイチ押しの甘糀や醤油糀など、基本の発酵調味料に加え、それらを使った料理レシピまで網羅された基本の一冊です。『ここからはじめる発酵食』 家の光協会・刊

「ゆの里」の「サショ・豆乳ヨーグルト」を
こよなく愛してくださっている発酵生活研究家の
栗生隆子さんは、現在、東京と奈良の
山村の二拠点生活をしています。

東京から導かれるようにいまの場所で活動している栗生さんの
これまでの「発酵生活」への道のりは、
決して平たんなものではありませんでした。

穏やかな、人を包み込むようなまなざしで語る栗生さんが、
いま、ジャストタイミングで「ゆの里」と関わってくださる不思議。

関係性を紡いでいく、まさに〝発酵〟の力が
後押ししてくれたのかもしれません。

7年間、薬漬けで寝たきり状態が続きました。

 いまでは、十数冊の〝発酵本〟を出されている栗生さんですが、発酵との出合いには自身の病気がありました。
 「病気のきっかけは、歯科治療に使ったアマルガムという詰め物の過敏反応だったようですが、14歳くらいの時から下痢が止まらなくなって。学校で下痢になったら困るので出かける前に下剤を飲んで、トイレを済ませてから学校に行くという暮らしを繰り返し、高校生になると今度は薬局でいい下痢止めがあると聞いて服用していたら、最初は効いていたのにまったく効かなくなってしまったのです。

病気を克服した人が持つ、包み込むようなやさしさ。発酵食品の知識の豊富さもさることながら、神羅万象、世の中で起こっているさまざまなことを俯瞰して見つめられる智慧の宝庫の方です。

 薬を7年もの間、服用し続けたら完全に体調が悪くなって、もう気力も体力もなくなり、寝たきり状態になりました」
 病院からもさじを投げられ、万策が尽きた状態だったと、栗生さんは当時のことを振り返ります。

 「そんなある日、ふっと体が軽くなり、意識だけが飛んでいくような幽体離脱の感覚にとらわれました。あ~、これが死後の世界なんだと思ったのです。その時に、死後の世界が実在で、生きている世界は肉体を使って、ただただ体験する場所なんだと納得したのです。すると、病気だっていいし、何があっても関係なくて、この私の体はオリジナルなのだと思えてきました。

 ひたすら私の体で体験することに意味があるとわかったとき、もう、現実の世界に帰ろうと」
 そんな臨死体験のような感覚からもどった4日後、20数年もの間、自分に合った治療法を見つけることができなかった栗生さんに〝冷えとり健康法〟を勧める友人との出会いがありました。約3年かかって、靴下の重ね履きをはじめ、半身浴など徹底的に実践していくと体が変化し、その後発酵食品との出合いがありました。

 「それまで発酵食品のことは、ほとんど知りませんでしたが、ある日行った物産展で甘酒を飲んだ時、なにか腸がほっとして落着くような、体が喜んでいる感じがしました。その日を境に糀や味噌、醤油などいろいろ調べ始めました。それが私と発酵との出合いでした」

 とはいえ、人並みの食事が受け入れられる状態ではなかった栗生さんは、
 「食事で何が体に合うのかもわからなかったので、1日1素材だけで、今日は牛蒡と決め、牛蒡で体調がよければOKと試していき、次は人参を食べて試してくという具合に一品一品、素材を試していく日を続けながら、いろいろな発酵食品を手作りして試していきました」
 まるで自分の体をセンサーのようにして、体に耳を傾ける日々。栗生さんは自分に合ったものを五感も総動員して見分けていきます。

 「発酵食品のすばらしさは、菌が作ってくれたとか、菌が発酵によって作り出した栄養素とかもあると思うのですが、消化力が弱っていた当時の私にとって、先に発酵によって消化を助けてくれたのではないかと思っています。消化が良かったものを食べていたのですね。そのことで、腸内環境も整ったのではないかと思うのです」

発酵食品としてそのままとるのではなく、
調味料として生かしてほしい。

あらゆる料理に生かせる発酵調味料。

 「腸が弱くて、たくさん食べることができなかったので、当初から発酵食品を調味料や料理の素材として使っていこうと思いました。漬物とか鮒すしとか、何時間もかけて仕上がった発酵食品をそのまま食べるだけではなく、調味料として料理に使うことですべてが〝発酵食〟になっていく。菌が分解してうま味を引き出してくれるので、たくさんの調味料を入れなく
ても味も決まります。 

 発酵食品を調味料として使った鯛のお頭の煮物など、おつゆが最後までいただけるほど、料理に使うとほんとうにおいしくなります。知らず知らずに腸が元気になって腸活している感じですね」
 栗生さんが主催する豆乳ヨーグルトの同好会は、フェイスブックで15,000人ものフォロワーがいて、アレンジ料理を教えあう仲間たち(現在は休止)。

 「豆乳ヨーグルトは牛乳とは違って、大豆のたんぱく質が力になっていることを強く思います。「ゆの里」さんのものは、そこにお水が加わるので最強ですよね」
 栗生さんのレシピを見ると、豆乳ヨーグルトがカレーやグラタンなどに違和感なく使われ、グラタンソースとして使う白味噌と豆乳ヨーグルトの組み合わせは絶妙です。

 「豆乳ヨーグルトは大豆で作られているので味噌との相性も抜群です。豆乳ヨーグルトは和食にもすごく合うので、みなさんにぜひ、お伝えしたいですね」
 栗生さんが料理本を数多く出してから、それまで発酵食品を作ったことがなかったご両親も、いまではしっかり〝発酵生活〟の実践者と聞きました。

 「今年、父は84歳、母は77歳。離れて暮らしていますが、両親も私と同じ食生活で、ものすごく若々しくなりました。母なんかは、お肌もぷりぷりです(笑)。
 お腹が弱くて下痢体質の私と違って、母は真逆。昔から便秘薬が離せなかったほどの人でしたが、今では毎朝の味噌汁を習慣づけ、快調のようです。ひどかった肩こりも目の疲れもなくなり、よく通っていたマッサージにも行かなくなりました」

子どものころから、水のそばに魅かれる想い。
そして、「ゆの里」と出合いました。

 岐阜県生まれの栗生さんは、子どものころから長良川の上流に魅かれていたと言います。
 「小学校にも上がらない、まだ小さなころ。長良川の源流の湧き水のイメージが私の中にあって。この川をたどっていくと、いつかは砂の中からふつふつと湧き出しているような、水の源流に行き着くのかなぁと、ずっと行ってみたい憧れがありました。小さいのでとても行くことはできないのですが、その当時から無性に水に魅かれていたのだと思います」

 発酵中心の暮らしをきっかけに、生きる喜びに敏感に、そして直感的に感じるようになった栗生さんの目は、いま、発酵
を支える水や土壌など自然に向けられています。
 「体の治癒のために始めた発酵と冷えとりでしたが、治っていく過程で、体で起こっていることと自然界で起こっていることはとても似ていると思うようになりました。体も自然界も、浄化し循環することで持続できていると思うからです。

 奈良の山村では、村人たちと話しながら暮らしていると多くの学びがあります。山の水を引きながら、見様見真似で野菜も育てはじめました。近所のおばあちゃんから漬物を習い、昔ながらの本物の漬物を漬けたいと思ったのです。
 塩と野菜を漬けただけなのに、その美味しさに毎回感動しています。冬は多くの野菜が採れませんが、漬物があれば大丈夫と心強くもあります」

 約10年前「ゆの里」の壽美子会長が、〝今からは発酵が大事だから、本物の漬け物工場をつくる〟と言った言葉を聞いた栗生さんは、「よくぞ発酵のことを!」と、うれしくなったそうです。
 「4月には、重岡社長のお水のお話会に呼んでいただいて、お水の視点で発酵がどのような世界を描いているのか、貴重な話が聞けるとワクワクしています。水の世界と発酵の世界に、多くの共通点も感じるからです。

 発酵が始まると、分解して乳酸菌が現れ酵母が現れる。そのあと、アルコールになって酢酸菌になってと、一連の過程は全部一緒なのですが、過程がシンプルなだけに、自分の中の経験の積み重ねが大事なんですね。体験せずには、始まらないのです」
 重岡社長のお水のお話会で水を学ぶことは、経験(体験)することでしか得られないという話が出てきますが、栗生さんの話を聞くと、どうやら発酵の世界も同じよう。

 経験という時間の積み重ねが、真実に一歩一歩近づいていくのかもしれません。
 4月22日(月)の「お水のお話会 特別版」では、栗生さんをゲストに招いて重岡社長がお水を通して発酵の話をします。
 そして、いよいよ5月からは栗生さんの「発酵教室&食事会」が始まります。
 どちらも、発酵を通して暮らしに気づきを与えるイベントになるかもしれません。みなさまのご参加をお待ちしております。

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