「ゆの里」から10年。美肌薬膳をあなたにも。

数ある武先生の著書の中で、まず、薬膳の基本としておすすめしたい一冊。五味表の見方はもとより、春夏秋冬の季節に気をつけたい体の不調の対応策や食材の効能も網羅。家庭に一冊揃えたい必需本です。『和の薬膳便利帳』(家の光協会・刊)。

薬膳レストラン、薬膳カレー、薬膳アドバイザーなど
健康志向が高まる中、頭に薬膳が付く名称も
目に付くようになりました。

ただし「和の薬膳」と、あえて日本の和食に光をあてながら
薬膳の世界を表現されている方は、
武鈴子さんが初めてではないでしょうか。

東京薬膳研究所の代表である武先生が本場中国に渡り、
薬膳の本質を学ばれたのは今から36年前。

あえて薬膳の前に「和」と付けるのは
自分がやりたいのは生薬を使った薬膳料理ではなく
今まで自分が体験してきた日本の食べ物を
薬膳で裏付けたかったという思いがあったからです。

講師をお願いしている「ゆの里」の美肌薬膳教室も
10年になりました。

「ほんものの健康とは?」と問い続けている「ゆの里」にとって、
武先生から教えてもらう自然との調和を具現化した薬膳は、
ますます意味があるものに思えてきました。

自分でも気づかなかった50歳からの薬膳

春の薬膳教室の献立。5つの器に酸味から時計回りに苦味、甘味、辛味、鹹味の料理が盛られます。ご飯はクチナシの花で色付けされて黄飯。学んだ五味が実際に料理になり受講者は大満足です!

「ところで先生、薬膳の世界に入られて何年になりますか?」

 6年前、ある講演会が終わった後、記者から聞かれた質問に
 「それまではただ夢中で走ってきて、何年たったかなど考えもしなかったのが、突然聞かれて計算してみると30年も経っていることに気づきました(笑)。その前の20年間は、柳沢文正先生の成人病研究所(東京都渋谷区)に勤めていて、どんな難しい病気でも80%の人たちは食べ物だけで治っていきました。柳沢先生から食事指導を受けて、その日のうちに麦飯に替えられた方に遠藤周作さんもいらっしゃいました。

当時は公害問題も勃発し、日本で最初に公害問題を取り上げたのもこの柳沢先生です。作家の有吉佐和子さんも柳沢先生のところにいらっしゃって、のちに『複合汚染』の執筆に繋がったのですね」

 医学博士であり農学博士である柳沢文正といえば、公害問題はもとより、家庭の洗剤の毒性にもいち早く警鐘を鳴らし、当時の大手企業から敵視された方。それでも、政界や文化人を問わず著名人が押し寄せて、次々に健康になっていく養生アドバイスに多くの方が助けられたのです。

その後、柳沢先生が亡くなられ、武先生も退職。次の仕事を探すことになりました。

「当時、水にも興味があり、図書館で水の本を探すも、専門書がたった3冊しかありませんでした。1年間、毎日通ってその3冊を交互に読み込みました」

 いい水があると聞けば、全国を訪ね歩き、日本の名水と呼ばれる現地に行って飲み比べてみたのもこの時期だとか。こんな充電時期のような模索期間に、先生の頭に浮かんだのが成人病研究所時代の患者さんたちの顔だったといいます。

「病気が回復して、「おかげさまで健康になりました」とお礼を言いに来る患者さんの顔が次々に浮かんできたのです。重篤な病気を食べ物だけで治していった事実をずっとそばで見てきた私は、人の体を治す食べ物って、一体なんだろうかと思ったのですね。大げさにいえば、その魔物の正体を見てみたいと思いました」

 武先生の中で進むべき方向性が決まったタイミングに、中国から著名な薬膳の先生が来日して、薬膳を指導するホットな情報が届きます。

 「私は仕事をしていないからまったく自由。金魚のフンのように来日された中国の薬膳の先生の後をおっかけて付いて回りました」

会うだけで元気がもらえる武先生は、薩摩おごじょ。現在は東京住まいですが、一本芯が入った性格は、ご出身の鹿児島の風土も影響しているのかもしれません。子どものような飽くなき好奇心が、「ゆの里」まで繋がっていました。

 よほど熱心な女性と思われたのか、中国に帰る時に指導した先生から「本気で薬膳を学びたかったら中国においで」と誘われます。そして、2週間後、武先生は中国に向かいます。自前で通訳も準備する本気ぶりです。

 「いつもその大本を知りたがるのは、今も昔も変わりませんね(笑)。その方は中国の薬膳のトップで、薬草レストラン「百草園」の料理長でした。料理長のおかげで絶対に入れない厨房まで私を招き入れて、滞在中の3か月間に薬膳を教えてくれたのです。中国の新華社通信からも、そんなこと初めてだと驚かれたほどです。その後も、年に5〜6回は中国に通いました」
学ぶと言っても薬膳の本は当時、原書しか手に入らない。日中辞典、中日辞典、薬膳辞典の3冊をいつも手元に置いて、1字ずつ訳しても、1日1行が訳せるかどうかの毎日だったと言います。

 そんな勉強熱心な武先生を知ってか、中国本土で手に入る限りの生薬を使って一緒に事業をしませんか?と中国側から誘われても武先生は断ります。

 「私は生薬を使って仕事をする気はありませんでした。やりたかったのは予防の薬膳。日本の食べ物の裏付けを薬膳でしたいから勉強しているのだと言ったのです。遣隋使、遣唐使、道元さん、隠元さん。中国のお坊さんたちが日本に持ってきた文化が、その後、日本の風土に合った日本食になっているのです。
 ですから、今の日本食は五行説がベースなのですね。名だたる日本料理店の品書きにも、五味調和と書かれています」

やりたいのは予防の薬膳。五味調和の和の薬膳です。

五味五臓表(五味それぞれの働きを示す)

 春夏秋冬、日本のその土地に根ざした旬の素材を使った五味調和こそ、先生が教える「和の薬膳」なのです。

 薬膳の講座に毎回登場するのが「五味五臓の相関表」です。人間が生きていく上で無くてはならない物質が五行。行とは、循環、巡っているという意味です。この五行に食べ物(五味)をあてはめて、しかも五臓五腑の働きまで網羅されているのがこの表です。

「薬膳では、酸味・苦味・甘味・辛味・鹹味(塩から味)の五つを五味とよび、全ての食べ物がこの五つの味に分類され、それぞれが違った役割を持ちながら、互いに循環しています。「酸味」は肝臓と胆のうに、「苦味」は心臓と小腸に、「甘味」は脾臓と胃、「辛味」は肺と大腸に、「鹹味」は腎臓と膀胱という具合に、五臓と五腑は背中合わせ。表裏一体の関係にあります。肝臓が悪くなると胆のうも影響してくるということを意味しています。ですから、片方だけじゃなく、〝相棒〟(この場合は「胆のう」)も必ず見てあげてください。

表の5つの色分けにも意味があり、それぞれの臓器の状態を顔色で表しているのです。例えば、酸味に位置する肝臓が悪くなると顔色が青くなります。苦味に位置する心臓が悪くなると顔色が赤くなる。冬でも背広を持って汗をかきながら真っ赤な顔をして歩いている男性を見かけることがありますよね。心臓がオーバーヒートしているかもしれませんから、循環器のトラブルを注意したほうがいいですね。

 甘味にある脾は脾臓というより消化器系。胃も含め、疲れてくると、顔色が黄ばんできます。そして、辛味のところは緑色ではなく、文字を白く抜いている「白」を意味し、肺を病んでくると顔色が白くなることを指しています。最後は、鹹に位置する腎臓です。腎臓が悪くなると顔色が黒くなってきます」

 薬膳の基本になる五味表の見方は、一見するとむずかしそうに思えますが、五味に属した食べ物をあてはめながら旬の素材の組み合わせを考えていくと、すべてが繋がっていることがわかります。しかも実線や点線の矢印を追うことで、次にどの臓器に影響していくのかなどパズルのようで面白く、薬膳を学ぶ楽しさです。

 「薬膳の基礎になった『黄帝内経素問』という2000年以上も前に誕生した哲学書があるのですが、五味五臓の相関表は、日中医薬研究会がこの本を10年かかって図式化したものです。漢方は経験医学です。何千年も前から、昔の人が人体実験となって裏付けしてきた実践法なのです」

声を大にして言いたいのは、現代人の香辛料の不足

 「薬膳を通して伝えたいことはたくさんありますが、とくに現代人に見直して欲しいのは、香辛料の使い方です。香辛料の「香」は、香るもの。日本にはシソやハッカがありますね。「辛」はピリっと辛いもの。ネギ、生姜、大根、ニラ、ニンニク、らっきょ、玉ねぎなど、みんな香辛料なんです。日本料理は、料理の脇役として昔から香辛料を大事に使ってきました。

 お刺身にわさび、トンカツに辛子、もずくに生姜。すべて組み合わせに意味があるのです。コロナウイルスは肺に入って悪化しますね。肺と大腸を助けるのは香辛料なのです。風邪をひきやすい、鼻水が出るなど呼吸器系の問題は、肺・大腸が管理しています。それなのに、わさび抜きの握り寿司や辛子を付けずにソースだけでトンカツを食べるなど、昔からの組み合わせが、いま崩れてきている。お芝居と同じ。主役を生かすのは脇役の香辛料の役目だと知ってほしいのです」

あの世で問われた「人生の宿題」

 「美肌薬膳教室」の前半、1時間半は講義になっていますが、武先生はその間は立ちっぱなし。ホワイトボードに書き込みながら、86歳の先生の体からエネルギーがほとばしり、聞いている私たちも熱くなります。

 「漢方には気・血・水と呼ばれるものがあって、「気」とは気の流れ。「血」は血の循環。「水」は水分代謝です。すべて体にとっては大事な要素ですが、それを誘導するのは「気」なのですね。やる気がなければ動かないから。

 私が30代の半ばだったでしょうか。世の中は入社試験の時期だったような気がします。突然、私の中に、あの世の入り口が登場したのです。夢じゃないですよ(笑)。
入社試験の面接会場のような風景で、テーブルに白い布が掛けてあって受付のよう。みんな白い服を着て、頭には三角の布をつけて並んでいるの(笑)。

春夏秋冬、年4回開催している薬膳。座学の後は、受講者と会食です。食事をしながらも、質問に答えている武先生。

 世界中から多くの人が集まってきているから、それはすごい列。そこではみんな番号で呼ばれていて、私は193,728番。いまでもはっきり覚えています。番号を呼ばれて前に立つと、試験官みたいな人から「お前は何をしてきたのか?」と尋ねられました。

 怪訝な顔をしていると「人は生まれてきた時から宿題があって、その宿題をやってきたのか?」と尋ねているんだと、その人は言うのです。
やってきませんでしたと後悔しても、もう、後戻りはできないのです。ぼんやり宿題なぁと考えていたら、パッと我に返っていました。

 その日の出来事から、折あるごとに「私の宿題って何だろう」と考えるようになりました。20年間の成人病研究所勤め、30年間の薬膳の道。考えてみると健康という名の1本のレールを走ってきたと改めて思います。ああ、これが私の宿題かもしれないと思い至りました。でも、宿題にはピリオドはありません。あの世に行くまで宿題は続くのですね」

 自分が86歳になったことにも驚きますが、と武先生は茶目っ気たっぷりに笑いながら、
 「いまはね、私が持っている薬膳の知識をすべてみなさんにお伝えしたいと思っています。そして、みなさんに言いたいのは、やる気さえあれば何だってできるということ。人と比べる必要は全くない。自分に合ったやり方で、いつでも思い立った時に始めたらいいのです。それには、10年は続けてほしい。3年は輪郭だけ。10年続けると応用がきき、自分のものになります。

 8月に重岡社長と一緒に講演会をやらせていただきますが、会場ではそんな私が歩いてきた道のようなものもお話できたらと思っています」

 武先生の美肌薬膳教室も10年目に入りました。次の10年に向かって、やりたいこともたくさんあります。
 武先生の前に引かれた食のレールは、「ゆの里」にも向かっていました。
 そんな武先生に、ぜひ、会いにきてください。

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